新卒入社したSIer時代

私は大手のシステムインテグレーター(SIer)と呼ばれる企業に新卒入社し、約10年後にメディアを数多くもつWeb系企業に転職しました。

1.SIerに入社した理由

大学では電気工学を専攻していましたが、研究室は情報処理系の研究室に志願して行き、顔認証の基礎研究を行いました。ひらすら、人の顔画像の中心線を描くというものでした笑。小さい頃からミニ四駆や工作などのものづくりが好きで、ものづくりが出来て社会貢献が出来る職業を就職活動中に探していました。そこで知ったのがシステムエンジニアでした。ちょうどその頃、母の体調が悪く病院に付き添っていました。その時に医者が使っている電子カルテを見て、こんな役に立つシステムが作りたい!と強く思いました。就職活動では、SIer一本に絞り、社会的影響力があるシステムを数多く作っている会社の内定を得ることができました。

2.研修時代

入社して9ヶ月間、研修がありました(手厚い!)名刺交換や電話応対の練習から始まり、PCを作っている工場のラインに入って作業を行ったり、会社の歴史を学んだり、チームを組んで簡単なシステム開発プロセスを学んだり…etc 本当に手厚い研修でした。当時、勉強させてもらって給料が出ることが不思議な感じでした。同期の中には、「明日も学校めんどくせぇ」という学生気分が抜けない人も居ました。私は地方の大学を出て東京に出てきたこともあり、周りのエリート大学出身者から学ぶことも多く、とにかく吸収しまくることを意識していました。社員寮がありまして6畳の部屋でお風呂とトイレは共同でした(家賃9000円だから文句は言えない)昔はその部屋に二人住んでいたと聞いた時は目が点になったことを覚えています。

同期と朝早く研修がある場所の最寄駅のカフェに行って勉強をしていました。電車の中では日経新聞を半分に折りたたみながら読んで、マーカーで線を引いていました。今思うと意識高い系ですが、とにかく当時は必死でした。母の体調が悪い中で東京に出てきたこともあり、中途半端には過ごせなかったです。

3.配属面談

当時人事が一人一人から配属の希望を聞く配属面談というものがありました。私は電子カルテに憧れたこともあり、医療系に携われる部署の配属を第一希望にしました。しかし人事からは「医者とやりとりすることもあり、元々医療系の知識が無いと難しい」と言われました。(その部署には薬剤師免許を持っていた人が配属されました)

配属面談の最後に「何か質問はあるか?」という問いに対して、私は「この会社で一番しごかれて、辛い部署に行きたいです」という、超M要素満載の発言をしてしまったのです笑

4.職場配属

9ヶ月間の研修が終わり、職場に配属されました。

なんと私は金融部門へ配属。これは、配属面談の時のM発言が影響したものと思われます。。。とはいえ、銀行システムという止めたら社会的に影響が大きいシステム開発に携われるということで、やる気がみなぎりました。

配属されたプロジェクトがちょうど単体テストをやっており、ひたすらPCにインストールしたソフトウェアの設定が間違っていないかを画面キャプチャを撮ってExcelに貼り付けてレビューを受けるという単純作業でした。会議に出ても打ち合わせの内容は分からないし、話してる言葉も理解出来ない。議事録もろくに取れず、毎回真っ赤に訂正が書かれたレビューを受けていました。何もできない無力感が凄く、朝起きて会社に行けないことも何度かありました。

SIerでは建設業界のような下請け構造になっており、私の先輩達は委託業者に開発を丸投げし、進捗や品質管理などのプロジェクトマネジメントをやっていました。pingコマンドすらも分からない状態の私は、将来的にプロマネをやるにしても、システム開発を実際にやっていないと話にならないと考え、当時の上司に直訴し、委託先の方々と同じことをやらせてもらいました。(委託先からすると、自社の人間でもない新人を受け入れてくれたことに感謝しています)

5.プロジェクトリーダーとしてのキャリア形成

入社して5年ほどたったタイミングで担当システムの移行が行われることになりました。事前にテストを実施していましたが、移行当日にトラブルが発生。データベースが移行できないというものでした。(トラブルの詳細は割愛)銀行の移行対策室に呼ばれ、各拠点のテレビ会議も含めて20〜30人の関係者に囲まれ、「ベンダーとして対応策を述べよ!」と詰められました。上司や先輩に相談する時間はなく、その場で考えられる案を複数出し、その中でもこの案が良い、というものを自ら決め、実施。5分毎に報告するという緊迫感のある中、なんとかキャッチアップできました。今から振り返ると、この経験が自分を強くした(精神的に)と思います。(ちなみに、トラブル対応する上で顧客が契約しているソフトウェアがあり、問い合わせをお願いしたところ、「そんな契約とか、知ったことか!自分で問い合わせろ!」と問い合わせアカウントから確認するという理不尽も味わいました。。)

その後、担当システムの法的対応などを経て、勘定系と呼ばれる開発に携わることになりました。銀行の勘定系システムと呼ばれる預金や融資、為替といった、銀行の中核を担うシステムの開発です。見積フェーズから入り、システムのアーキテクチャを描く役割を担いました。このアーキテクチャに沿って要件定義が行われ、システム設計と移っていくため、非常に重要な役割でした。複数のベンダーが参画しており、システムの役割を分担しながらアーキテクチャを描いていくのですが、ベンダー間の争い(発言量や質など)があり、定例会は毎回緊張感がありました。私自身はこれまで銀行の中核である勘定系の知識はなく、当時の上司に相談したものの「自分で考えて、ぶつけてみてボコボコにされてこい」と言われ突き放されたのは今では良い経験だったと思います。当時はベンダーとしての立場もあり、本当に大丈夫なのか不安になりましたが、この経験で自ら考え、行動し、責任を取るという意識が強く芽生えました。

6.企画部門への異動

ちょうど、FinTechが騒がれ始めたタイミングで金融部門に新たに企画部門が新設されました。各部門から人が集められ、その中に私も含まれていました。これまで顧客のシステム会社から依頼があり、その依頼を受けたシステムを作っていたこともあり、自ら企画することなど皆無に等しかったです。そのため、何から手をつけたら良いのか分からず試行錯誤が続きました。

人工知能を使って何かサービスを考える役割を担うことになり、そこで作ることになったのが「チャットボット」でした。当時、Facebookなどがチャットボットに力を入れ始めたタイミングでした。自社サービスを開発するのも初めてのことで、ファーストユーザとしてどこが導入してくれるのか?そして、それをどうプロモーションするか?など、初めてづくしだったが非常に刺激的でした。プレスリリースを作ったり、メディアの取材を受けたりと開発以外にも活動を行いました。

7.ハッカソンとの出会い

ちょうど企画部門に異動したタイミングで、ハッカソンのイベントに参加しました。社外メンバーとも アイデアを練り、プロトタイプまでを作り、ピッチをしました。2日間で作り上げられたことへの達成感とサービス開発への想いが強くなったのもこの経験からです。運良く入賞し、お金がついて活動できたもの良い経験となりました。しかし、お偉方から「これは、ベンダーのビジネスではない!」「100億のビジネスになるの?」「toCのビジネスは前例がない!」などと詰められたのが強烈な印象として残りました。

8.転職活動を開始

SIという受託開発を経験し、自社サービスの開発やtoCのサービス検討と視野が広がる中で以下を考えるようになりました。

・自社で内製化したプロダクトをプロデュースしてみたい

・もっとtoCに近いビジネスをやっている会社で仕事したい

・他社差別化を出すのはデータを握っていることでは?

そして、転職活動を開始しました。